拝殿内部

宮司がご祈祷の奉仕をする場所が拝殿です。

宮司はご祈祷される方の代弁者として、本殿にいらっしゃる神様に聞こえるように、太鼓を叩きながら、皆様のお祈りの気持ちをお伝えします。

山田方谷先生(1805~1877)は江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士です。 学者として藩に仕えていた方谷先生でしたが、藩主板倉勝静のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめました。 勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与しました。
髙岡神社の近隣である高梁市中井地区には、「方谷駅」がありますが、人の名前がそのまま駅名になるほどの功績を遺した方でした。
そんな山田方谷先生が、数え年4才で書いた書が、拝殿に残されております。

天下太平

国土安全

西方村 山田安五郎 四才

文化五年六月吉祥

山田方谷先生の家が髙岡神社の氏子だったことがご縁で、奉納された書になります。

山田方谷先生の書

拝殿には、3本の刀をご紹介する掛け軸を飾っております。 いずれも、人をあやめるための刀ではなく、平和な世の中を願って、髙岡神社に奉納されたものです。

3本のうちの1本は、備中水田地区の刀匠・大月八良左衛門尉源國重によるもので寛永18年のものとされています。

残りの2本は、備中中津井地区の刀匠・大月世龍子源祐国によるもので、天保15年のものとされています。